塩田千春


瀬戸内国際芸術祭 作品番号15

「遠い記憶」
塩田 千春 (しおた ちはる)


豊島

http://www.chiharu-shiota.com/jp/index.html

小学校分校 跡地で 校舎落成時の 記念銘板 も 残っていた。

この集落では 若者がいなくなり 分校は廃止、
 その後 公民館として 使われていたが それも廃屋。

福武總一郎氏のいう 「在るものを生かし、無いものを創る」のとおり 、2010年 瀬戸内国際芸術祭では 廃屋校舎は、このようにアートとして 活用されることとなった。

現代アートは 若者を呼ぶのであろうか?

ところで このたび 御目出度いことに  この集落で 十数年ぶりに 出産があって、鯉のぼりが 掲げられていた。
瀬戸内国際芸術祭が、 島の活性化に繋がればと 願うしだいです。

-------------------------------------------------------------------

塩田千春 インタビュー

「最初に窓の作品を作ったきっかけは、私が住む旧東ベルリンの窓が改装工事で中庭に並べられているのを見た時でした。同じ国籍の同じ言葉の人々が人為的に28年もの間、東西に別れ、それぞれがどういった気持ちで窓からお互いを見ていたのだろう。と思ったところから始まりました。

今回窓でトンネルを作った豊島の甲生という村は、17年ぶりに村に子供ができたというほど高齢者が多く過疎化が広がりつつある村です。この豊島に作る作品はずっと集落の人の心に守られないと存在しえない作品だということを理解しました。島の住民とやりとりしていくなかで人間的な関係を構築し、きちんとコミュニケーションを取らなければ、作品は理解されない。この島にとってこれから展示する作品が、生きて行くかただのゴミになるかにまで関わってくると思うのです。実際、こうした関係というのは美術館の展示ではほとんど要求されません。普段は私がどういう問題をかかえていて、どういう風に形にし、発表をするかということが問題であって、環境はもちろん作用はしますが、一番重要なことではないことです。しかしながら、この、豊島での制作で村の人たちと関わって行くうちにどれほど自分が豊かな気持ちになったかわかりません。私が忘れてかけていたたくさんの大切な事を呼び起こしてくれたことも事実です。まず挨拶がどれほど重要なことか、それをすることによって住民の人々と関わり、豊かな気持ちになって行きました。島を出る時は、どうしても涙腺が緩んでしまい、困ってしまったのを覚えています。今回は作品を通じて非常にいい経験をしたと思っています。」art-itより引用

 

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_itv/i2vWjzhgHI7kLYVuxMA8/